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最高裁判所第一小法廷 昭和58年(あ)937号 判決 1985年3月28日

主文

本件上告を棄却する。

理由

弁護人前田裕司、同中川瑞代、同栗山れい子、同山花貞夫、同栗山和也、同西畠正、同井上章夫の上告趣意のうち、原判決がいわゆる共謀共同正犯論を採用したことに関して憲法三一条違反をいう点は、いわゆる共謀共同正犯の成立に必要な共謀に参加した事実が認められる以上、直接実行行為に関与しない者でも共同正犯の刑責を負うものと解することが憲法三一条に違反しないことは、当裁判所の判例(昭和二九年(あ)第一〇五六号同三三年五月二八日大法廷判決・刑集一二巻八号一七一八頁)とするところであるから、所論は理由がなく、被告人の所論各供述調書の証拠採用に関して憲法三八条二項、三一条違反をいう点は、記録によれば、所論各供述調書の任意性を肯認した原判断は正当であるから、所論は前提を欠き、その余は、憲法三八条二項、三一条違反をいう点を含め、実質は単なる法令違反、事実誤認、量刑不当の主張であって、刑訴法四〇五条の上告理由にあたらない。

なお、刑法一一〇条一項の放火罪が成立するためには、火を放って同条所定の物を焼燬する認識のあることが必要であるが、焼燬の結果公共の危険を発生させることまでを認識する必要はないものと解すべきであるから、これと同旨の見解に立ち、被告人に本件放火罪の共謀共同正犯の成立を認めた原判断は、記録に徴し正当として是認することができる。

よって、刑訴法四〇八条により、主文のとおり判決する。

この判決は、裁判官谷口正孝の意見があるほか、裁判官全員一致の意見によるものである。

裁判官谷口正孝の意見は次のとおりである。

一 私は、刑法一一〇条一項の罪の成立については、多数意見と見解を異にし、公共の危険の発生することの認識を必要とするものと考える。その理由については、先に、当法廷昭和五七年(あ)第八九三号・昭和五九年四月一二日決定(刑集三八巻六号二一〇七頁)の中で私の意見として述べておいたところであるから、ここにそれを引用する。

そして、右の点について、認識必要説をとる場合と不要説をとる場合とでは、共謀共同正犯論に従って共同正犯の成立を肯定する判例の立場のもとでは、一一〇条一項の罪の共同正犯の成立について異なる結論を導くばかりでなく、不要説をとる場合その結論の支持し難いもののあることを注意しておきたい。

すなわち、本件においては、被告人は、Cを介してE及びFと順次共謀を遂げたとされているのであるが、被告人がCらに指示した内容が、「Aらの単車を潰せ」「Bの単車でもかまわない」ということであり、進んで「燃やせ」ということであって、その単車を何処で、どういう方法で燃やすかについては何ら指示するところがなく、被告人としては、Cを介しE及びFらが単車を燃やすことにより公共の危険が発生することについて認識するところがなかった場合を考えよ。その場合、実行行為を分担遂行した右E及びFにおいて川久保方一階応接間南側のガラス窓から約三〇センチメートル離れて同家軒下に置かれたB所有の自動二輪車に原判示の如き方法を用いて放火したとき、被告人の罪責はどうなるのか。この場合、被告人に対して成立する共謀の内容は器物損壊の限度に止まるものというべきであろう。然るに、現に右Eらの行為により実現したところは一一〇条一項の罪であった(同人らについて公共の危険発生の認識の備わっていたことは記録上明らかである。)。

もし、本件が右の如き場合であっても、多数意見に従う限り、被告人も又一一〇条一項の罪の共同正犯の罪責を免れないということになる。この結論は明らかに不当である。右の場合は、いわゆる共犯における錯誤の問題として処理するのが正しい方法というべきではなかろうか。

二 然し、本件においては、被告人としてもE及びFらの実行行為者においてB所有の単車に対する放火行為により「一般人をして延焼の危惧感を与えること」の認識を備えていたことが記録上肯認できる場合であるから、被告人においても一一〇条一項の罪の共同正犯としての罪責を免れないことは、原判示に示すとおりである。

(裁判長裁判官 矢口洪一 裁判官 谷口正孝 裁判官 和田誠一 裁判官 角田禮次郎 裁判官 高島益郎)

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